天然ボケと人工ボケの違い

どうも、鼻です。

普段はWeb関係の仕事で食費を稼ぎ、音楽の活動でお小遣いを稼ぐ生活をしているわけですが、
僕の脳みその半分以上が、お笑いについての考え事で占められており、
その考え事がまとまった暁には、お笑いの理論の本を出版したいとまで考えている程です。

そんな僕なりの笑いについての考えの一部を、少し紹介できればと思います。

天然ボケと人工ボケの違い

天然ボケに対して「人工ボケ」というワードを使用するのは、和田アキ子が昔よく使ってたというイメージもあり、少し抵抗があるのですが、
便宜上、このテーマに限り、人工ボケというワードを使用させていただきたいと思います。

天然ボケと人工ボケの違いはどこにあるのでしょうか?

ある人がおかしな言動をした事に対し、別のある人がそれを指摘する事で笑いが起こる。
という結果だけを見ると、天然ボケも人工ボケも見た目上は同じです。

どこに違いがあるかと言うと、おかしな言動をした人が、それを意図していたかどうか、という所にあるわけです。

別の言い方をすると、ウケを狙ったのかどうか、という事になります。

そんな事は誰でもわかっている事だとは思うのですが、
じゃあ今目の前で起こったとあるボケが、天然なのか人工なのかを判断する事は、実は難しい事なのではないかと思っています。

天然ボケはすべらない

その昔、藤谷美和子という、おかしな発言を連発する女優さんがバラエティ番組に頻繁に出演していました。

当時僕は未熟な小中学生だったという事もあり、「発言がいちいち変わっているが故に、共演している芸人さん(主にとんねるず)にいじられてしまう人」だという認識で見ていました。
つまり、当時の僕は彼女を「天然ボケ」だという認識で見ていたわけです。

それから数年が経ち、かなり懐かしいと言えるタイミングで、藤谷美和子さんをテレビ番組で拝見しました。

その番組を見ていて、ハッとする事がありました。

久しぶりに見た藤谷美和子さんが、正直、かなりスベっていたのです。
一度ではなく、二度三度と、止めどなくスベっていたのです。

今では一般的になった「スベる」という言葉がまだ浸透していなかった時代、
「スベる」と同じ意味で「はずす」という言葉が使われていた事を記憶しています。

久しぶりに見た藤谷美和子さんは「はずして」いた。
「はずす」という事はつまり、ウケを狙っていたのだという事に気づきました。

この時に僕は、またも当たり前の事に気付かされました。

スベるのはウケを狙ったから。
ウケを狙わなければスベらない。
ウケを狙わずに笑いを取る天然ボケ。
天然ボケは絶対にスベる事がない。

よく考えてみれば、スベってる天然ボケを見たことがありません。
スベった時点でそれは天然ボケとして扱われないからです。

面白い人と面白くない人

では天然ボケキャラの人は絶対スベらないのかと言われれば、もちろんそんな事はないです。
天然ボケキャラの人でもウケを狙う事はあるでしょうし、
ウケを狙わずにおかしな発言をした時でも、そこにツッコミが入らなければ、笑いにならない事があるからです。

今も世界中のいたる所で、ただ「気持ち悪い発言だな」と思われるだけの、ツッコまれずにスルーされた天然発言が飛び交っているはずです。

ここで、笑いにおけるツッコミの重要さと、実際に笑いを取ってるのはボケでなくツッコミであるという理論が生まれるわけですが、
それはまた別のテーマで書きたいと思っています。

では、天然ボケキャラの人は何故ゆえに天然ボケキャラであるのか、
それは、面白い人なのか面白くない人なのか、という事なのではないかと考えています。

ここで言う「面白い人」とは、「面白い事を判断できる人」という事です。

天然ボケの思考回路を持つ人に、面白いか面白くないかを判断できる能力を与えたとすると、
今まさに発言しようと思ってる事が、面白いか面白くないかを判断できるようになります。
面白くないと判断すれば、発言をやめるか、別の発言をしようとすると思います。
面白いと判断した上で発言すれば、それはウケを狙うという行為になるはずです。

これは所謂、人工ボケというものになるのではないかと思います。

要するに、天然ボケキャラの人は、面白いか面白くないかを判断する能力が低く、
逆に、人工ボケキャラの人は、思考回路は天然ボケの人と近い可能性があるという事が言えるのではないでしょうか。

天然ボケキャラの人と人工ボケキャラの人の共通点は「変な思考回路の持ち主」であり、
天然ボケキャラの人と人工ボケキャラの人の違いは「面白いか面白くないかの判断力」の違いである。

以前テレビ番組で、明石家さんまさんが「コンビを組むなら?」という質問に対し、「ジミーか村上ショージ」と答えていたのが印象的でした。
明石家さんまさんは天性のツッコミ人間であり、ジミー大西さんや村上ショージさんは、もちろん一流の芸人さん達なのでちゃんとウケを狙って笑いをとる事の方が多いと思うのですが、お笑い芸人さんの中ではかなり天然に近い人達なのではないかと思います。

天然ボケキャラの人の横に、面白い事を的確に判断できる人がいるという形はお笑いの王道の形であり、大きな笑いが生まれます。
また、天然ボケキャラの人ではなく、同じぐらいおかしな事を言う人を演じられる人であっても、それは同じ事でしょう。

松本人志さんが、
「世界一面白くない人が、世界一面白い人なのかもしれない」
という名言を残しています。

面白い事を判断する能力が無いからこそ生まれる天然ボケというものがある気がします。
「働くおっさん劇場」という松本人志さんの番組にレギュラー出演していた、野見隆明さんという人がまさにその人です。
あの野見さんに面白い事を判断できる能力を与えたとすると、
おそらく面白い人にはなりそうな気はしますが、やはり「働くおっさん劇場」で見せたあの笑いを生むことはできないでしょう。

野見さんに面白い事を判断できる能力が皆無だったからこそ、僕は「働くおっさん劇場」で腹がちぎれる程笑うあの幸せなひと時を過ごせたわけです。

しかし、それは周りに面白い事を判断するスペシャリストがいたからこそ実現した事であり、
その面白い人達がいなければ、野見さんはただの「変な面白くない人」で生涯を終えていた可能性があるわけです。

 

日々面白い事を判断して生活ているお笑い芸人という職業に、憧れとリスペクトの気持ちを募らせつつ、
もうそろそろ寝た方がいいという判断が脳を横切ったところで、
天然ボケと人工ボケのお話を終わらせたいと思います。

どうもありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です